History, Location & Access

Living in the History

現在もなお歴史の息吹に
触れながら暮らせる生活エリア。

桜息吹く跡

当マンション建設地は、挙母城(桜城)築城予定の本丸エリア内にあり、
堅固な地盤で災害にも強く、暮らしの舞台に安心と安全を提供する。
徒歩3分の桜城址公園には、桜城の櫓の石垣が残り
自然と歴史が調和した風情を今もなお保ち続ける。

※写真協力:豊田市※出典:愛知県豊田市発行「新修豊田市史」
※三河国挙母城築絵図と調査区の位置(豊田市教育委員会所蔵絵図)

三河国挙母城築絵図

寛延2年に入封した内藤政苗(2万石)が、幕府から4千両の資金を与えられて挙母城郭築上を計画した。「三河国挙母城築絵図」(右図)は、寛延3年に幕府に提出した設計図の控えと見られる。これによると、周囲を長さ400間(約720m)の堀で囲まれた本丸には三重の櫓がそびえ、二の丸には本多家陣屋の堀を囲むように描かれている。本城郭がどこまで完成していたか不明な点が多いが、明治17年(1884年)作成の地籍図をもとに検討すると、二の丸部分についてはほぼ計画通りに進んでいたと推定される。

桜城址公園

挙母城(桜城)は、上州国安中城よりこの挙母の地に転封し藩主となった内藤政苗(まさみつ)が、1756年より工事を行ったとされる城。しかし、築城半ばにして童子山に第2の挙母城(七州城)が築城されることになりました。現在、桜城は隅櫓の石垣が残っており、春には桜も楽しめる公園として利用されています。

挙母城(七州城)隅櫓跡

童子山の高台には、かつて挙母城の城郭(本丸)が置かれていました。この挙母城は、三河国・尾張国・美濃国・信濃国・伊賀国・伊勢国・近江国の7つの国が望めることから七州城と名づけられました。現在は本丸跡が豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されており、櫓台の石垣が残っています。1978年には隅櫓が復元され、童子山に挙母城があったことを今に伝えています。

挙母神社

拳母神社の例祭として有名なのが、江戸時代の寛永年間より実施されている「拳母祭り」です。1750年になると挙母藩の命を受けて飾車が制作され、挙母神社にて子ども達による歌舞伎狂言を奉納したのち、山車は挙母城へ引き入れられ、藩主や家臣らが歌舞伎狂言を観覧したと伝わります。拳母祭りは現在でも毎年10月に開催。使用される山車は、県・市の有形民俗文化財に指定されています。

三重櫓(桜城)

※写真協力:豊田市※三重櫓建地割二十分一(桜城)

墨書石垣

※写真協力:豊田市
※挙母城跡(桜城)出土 墨書石垣

四季折々の自然とアートを
身近に感じる芸術の杜も身近に。

豊田市美術館

ここは「七州城」と呼ばれた旧挙母藩の城があった、豊田市の市街地を一望できる高台に建つ美術館。シンプルなフォルムに、乳白色のガラスと深い緑のスレートをまとった姿は、それ自体がまるでひとつの美術作品のような洗練された雰囲気で、建築家・谷口吉生の最高傑作とも言われています。白を基調とした館内は、自然採光をふんだんにとり入れた心地よい空間が広がり、ゆったりとした気持ちで過ごすことができます。

Art Culture

※掲載の周辺環境写真は、2024年1月に撮影したものです。※距離は地図上の概測で、徒歩時間は80m/分として換算したもので、渋滞・信号待ち時間は含まれておりません。時間帯・交通事情などにより、さらに時間を要する場合がありますので予めご了承ください。